谷崎潤一郎研究のつぶやきWeb

その7(2016年10月8日)谷崎活版所支店(谷崎久右衛門支店)と深川芭蕉庵跡

その2で予告した、谷崎活版所支店の件、住所からその場所を探してみました。

石川悌二著『近代作家の基礎的研究』に、谷崎の叔父長谷川清三郎氏が戸籍を閲覧時に毀損した事件の始末書が掲載させれています。そこに、谷崎活版所支店(谷崎久右衛門支店)の住所が書かれています。署名のところを抜き出すと、

明治廿六年九月十一日
深川区西元町八番地
谷崎久右衛門支店止宿
南葛飾郡寺島村六十二番地
長谷川清三郎
日本橋区蛎殻町二丁目十四番地
右長谷川清三郎
後見人 谷崎久右衛門

ということで、活版所の支店は深川区西元町八番地にあったことがわかります。

江戸切絵図の深川絵図で見てみるとこのような位置になります。

深川絵図_西元町

ちょうど松平遠江守の屋敷と御籾蔵に挟まれたところに当たります。ここには深川芭蕉庵もあります。松平遠江守(リンク先の松平桜井家姻戚が、谷崎作品絡みで大変興味深いです。また、尼崎といえば、『猫と庄造と二人のをんな』でもリリーを一度遣った場所ですし、『細雪』のお春どんの実家も尼崎です。)といえば、鷗外の『大塩平八郎』(『春琴抄』と大塩平八郎の乱、鷗外との関連については、かねてからTwitterでもつぶやいています。)に、

松平遠江守の家来稲垣左近右衛門と伝ふ者が、見聞した事を数度に主家へ注進した文書である。松平遠江守とは摂津尼崎の城主松平忠栄の事であろう。

という記述があります。隣が御籾蔵なので、これは重要な情報でしょう。その場所に活版所の支店があったということは、やはり米関係の情報を印刷するということに都合がよかったのでしょう。芭蕉は小名木川沿いの弟子の家を行き来していたそうですが、谷崎の叔父萬平氏が相続人として遣られた家は釜屋堀のあたり。萬平氏が昭和初年に住んでいたのは、谷崎終平著『懐しき人々』によると、逆井橋のそばだったとのこと。小名木川は塩の道。松平遠江守の屋敷は、文久版の切り絵図では「紀伊殿」。谷崎の長女鮎子さんが結婚した相手は紀州藩お庭奉行の家柄。「紀伊殿」からは、蠣殻町もつながってきます江東おでかけ情報局というサイトの松尾芭蕉ゆかりの地というページを見ると、地図にそれらの地が示されています。こちらと併せて読んでいただくと、いろいろ見えてきそうです。

そうそう。逆井橋のそばには小松川神社(小松川神社の境内社には水神社もありますが、水神社は、小中村清矩関連の岩淵にもあります)。近くには白鬚神社浅間神社もあります。白鬚神社も浅間神社も谷崎作品に関連してくるので、こちらも要チェックですね。

なお、小松川神社は、

旧西小松川村の鎮守であった堂ヶ島の新小岩香取神社と、下之庭の西小松川天祖神社の分霊を、(当地にあった)西光寺境内の稲荷神社に昭和11年勧請して創建

したということで、まさにこの区画に、谷崎の叔父萬氏が昭和初年に住んでいた可能性が高いですね。

2017-6-14 追加情報

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