谷崎潤一郎研究のつぶやきWeb

その14(2017年9月13日)レクチャーガーデン「谷崎文学を歩く」(1)(2016年11月のお話)

いよいよ京都精華大学の西野厚志先生によるレクチャーガーデン「谷崎文学を歩く」のお話です。

前日は京都八条口のホテルに泊まって、いよいよよ京都精華大学へ。『夢の浮橋』を研究するには絶好のロケーションですね(^^)

京都精華大学バス停到着
ついたー! 景色が美しいです。

バス停から歩いて、あー、ここか!
京都精華大学正面

でも、会場はこの建物はここではなく
レクチャーガーデン会場
この建物(清風館)でした。学生に戻った気分が湧いてきました。

この日のスケジュールは、まず10:00~11:30が講義。「『夢の浮橋』に書かれた風景」ということで、西野厚志先生による『いま谷崎文学を読むための作品ガイド』と共に、竹村俊則著『昭和京都名所図会』からの地図、石村亭の案内図(各ポイントに触れた『夢の浮橋』内の記述付きです)、谷崎の創作ノート発見等の新聞記事を資料に講義が始まりました。

講義は谷崎の生い立ちから始まりました。このあたり、かなり丁寧に進みます。それから『細雪』のラストの話(映画の吉永小百合を思い浮かべながら)等も織り交ぜつつ、いよいよ『夢の浮橋』へ。

ここでは『昭和京都名所図会』を元に、『夢の浮橋』の舞台が解説されました。『夢の浮橋』の本文中には「市原野」が登場し、そのあたりのことにもしっかり触れられていますが、谷崎のこういう記述は大変重要なのにも関わらず、どうしてもスルッと読み飛ばしてしまいがちなところです。そのあたりをこの講義でしっかり認識できてよかったです。またその位置関係もこの地図でわかり、物語の読解に役立ちました。

ここで、本文からその個所を引用しておきます。

この村は、あの頼光や袴垂保輔や鬼童丸の物語で有名な古えの市原野の附近一帯のことで、今もその字の一つに「市原」の名をとゞめており、鞍馬行電車の停留場も「市原」となっている。但しこの電車が開通したのは後年のことで、父の話に出て来る頃は、京都から二三里のこの村へ行くのには人力車に依るか、そうでなければ出町から馬車で三宅八幡まで行き、そこから一里半の行程を徒歩しなければならなかった。鞍馬行電車の順序で云うと、出町から四つ目が修学院、次が山端、次が八幡前、次が岩倉、それから三つ目が市原即ち静市野村で、それから二つ目が貴船口、次が終点の鞍馬であるから、静市野村は京都よりも鞍馬の方へ寄っている。私の家は数代前から、この村の野瀬と云う農家とつきあいがあったらしいが、多分私の先祖の誰かゞこの家へ里子に遣られたと云う縁故があったのであろう。私の父の代になってからも、盆暮にはこの家の当主や女房が、毎年新鮮な野菜を車に積んで挨拶に見えた。

 

図会を見ると、「市原野」と「市原」が別に書かれていますが、このあたり一帯をまとめて物語に組み込んでいるのですね。
私は、市原野にしても後に出て来る黒田村にしても、乳母関連だと思っております。小野篁も『夢の浮橋』に埋め込まれていると思われますので、小野小町小野篁小野道風をはじめとする小野氏の血筋は要チェックですね。

と思って調べたら、小野氏はもともと近江国滋賀郡小野村周辺を本拠としているのですね。このあたりは谷崎の祖父(『幼少時代』によると、谷崎家は近江商人の出らしい)が総番頭をしていた釜六(近江出身。台東区のサイトに作例として浅草寺の銅鐘と共に説明が載っています。)、そして谷崎自身の乳母とも繋がってくるように思います。

小野氏を調べていたら、日本実業出版社のサイトで、人名・氏名 おもしろ雑学というページを見つけました。そこに「小野氏の末裔」という記事があります。そこには、

こうした武家となった小野氏の末裔で有名なのが、関東に下った小野氏である。平安時代、小野孝泰は武蔵守となって関東に下り、その子義孝は武蔵国多摩郡横山(東京都八王子市)に住んで横山氏を名乗った。また、孫の時範は武蔵国児玉郡猪俣(埼玉県児玉郡美里町猪俣)に住んで猪俣氏を名乗っている。

という記述があります。横山氏といえば「をぐり」。つまり『春琴抄』関連。日本語と日本文化というサイトにとてもわかりやすい記述を見つけました。説経「をぐり」(小栗判官)

一方、猪俣氏の方は、児玉郡ということで、猪俣党と共に児玉の条里地域を分けていた児玉党が連想され、『夢の浮橋』に埋め込まれている森鷗外とその長男於菟父子に関連のある児玉せきさんを思い浮かべます。石川悌二著『近代作家の基礎的研究』によると、児玉せきさんが、一時於菟さんを預かっていたようです。となれば、そのあたりも『夢の浮橋』に埋め込まれているように思われます。

参考:『近代作家の基礎的研究』に掲載された戸籍から、鷗外と於菟さんとの間の親子関係に重大な疑義が生じています。

 

講座でいただいた『いま谷崎文学を読むための作品ガイド』には、もちろん『夢の浮橋』も掲載されていますが、最後の補遺「谷崎源氏」のところで、村上春樹著『海辺のカフカ』が引用されていたのが衝撃でした。実はこの作品、私まだ読んでいないんです。
作中で折口信夫「貴種流離譚」に触れられるわけですが、これはまさに『夢の浮橋』の中心にしっかりと埋め込まれている『山城国風土記』逸文に書かれた賀茂別雷命のお話と「摂州合邦辻」に重なります。
さらに、第2の母経子が蛇だということはこれまでTwitterでもつぶやいていたのですが(当初は大百足かと思いましたが、後に蛇だと気づきました)、それは瀬田の唐橋の方から考えており、蛇に気づいてからも、道成寺(日光菩薩、月光菩薩は『蘆刈』から『瘋癲老人日記』まで、宮子姫は『瘋癲老人日記』に関わってきますので、もちろん道成寺は外せません)の方にばかり気を取られていたことからです。それもあるでしょうが、もっと身近に深泥池が出てきますものね。「をぐり」と繋がったことで、経子の正体に深泥池の大蛇が強く埋め込まれていることにやっと気づきました。後は、「市原野」と酒呑童子、それから八瀬童子(こちらはかなり最初の頃から気になっていました)もしっかり確認しないといけませんね。
それから、西野先生の『海辺のカフカ』と谷崎作品についての論は、谷崎潤一郎 中国体験と物語の力で読むことができます。(researchmapの西野先生のページ参照)。

思い切ってこの講座に参加して良かったです。

なお、西野先生の文章に続いて他の先生も谷崎作品の中での異界との行き来について書かれていますが、これについては私もTwitter等でつぶやいています。。異界との行き来については、『細雪』についてはあまり触れられませんが、私はこの作品についても注目しています(貞之助を媒介とした、板倉の三好としての復活等)。よろしかったら覗いてやってください。
さらに、谷崎の親戚小中村清矩の母と妻の実家である臼倉氏に貞之助(本当は鼎之助ですが、貞之助とも書かれる)という人がおり、その人の帰還からの臼倉家の変化も『小中村清矩日記』に見えるので、そのあたり、今後調べていきたいと思っています。

 

講義の後は、各自昼食後、いよいよ石村亭見学ですが、やはり講座に参加されていた研究者の方と共に西野先生の研究室にお邪魔して、貴重なものも見せていただきました。本当に、この講座に参加して良かったです。なのにこんなにレポートが遅くなって……、本当に申し訳ありません。

次回は後の潺湲亭(現:石村亭)見学のレポートに行きたいところですが、この記事でかなり雑多に項目を並べてしまった気味がありますので、その前に、谷崎作品のまるで寄木細工のような建築的構図について少し整理したいと思います。

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中公新書(kindle本)
中公新書には、谷崎作品の読解に役立つ本が多くあります。



作ってしまいました(^^)