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その11(2017年8月18日)『蘆刈』文学散歩(2)(2016年11月のお話)

石清水八幡宮の後は、時間の都合を考えて、流れ橋は次の機会にし、『蘆刈』に登場する橋本遊郭を車で通り、『蘆刈』の舞台の淀川へ。『蘆刈』当時の姿はありませんが、背割堤を歩きながら思いを巡らします。

背割堤

背割堤_木津川

背割堤_淀川

背割堤_三川合流地点

背割堤_橋を望む

橋本遊郭は、すっかり「跡」という雰囲気でしたが、現在も営業中のところもあるとか。背の低い家並みが印象的でした。実際に歩かれてレポートされたサイトを見つけましたので、リンクします。ここにも登場している透かし彫りを持つ建物は、強く印象に残りました。検索すると、他にもレポートされているサイトが多くありますね。渡し跡の石碑を撮影されているサイトもありました。

中洲と遊郭のセット、実は谷崎周辺にもありました。谷崎の父の長兄の岳父に小中村清矩という人がいるのですが、その人の母と妻の実家の臼倉家(臼倉氏)が岩淵にあったのです。で、岩淵については、後深草院二条が川口側から岩淵を眺めて『とはずがたり』に「遊女のすみか」と書いています。谷崎の『夢の浮橋』には、『とはずがたり』を意識したような表現*がありますが、もしかしたら二条は臼倉家の先祖と出会っていたかもしれません。実はそのあたりの景色も撮影していますので、併せてご覧ください。渡し跡について書かれたページも見つけました

岩淵、荒川の中洲

この近くには岩淵八雲神社があり、そこを出ると、「正宗」の文字のある看板にぶつかりました。

岩淵、丸眞正宗

 

ご存知の通り、『蘆刈』にも「正宗」が登場します。

わたしは提げてきた正宗の罎を口につけて喇叭飲みしながら潯陽江頭夜送レ客、楓葉荻花秋瑟々と酔いの発するまゝにこえを挙げて吟じた。そして吟じながらふとかんがえたことゝいうのはこの蘆荻の生いしげるあたりにも嘗ては白楽天の琵琶行に似たような情景がいくたびか演ぜられたであろうという一事であった。江口や神崎が此の川下のちかいところにあったとすればさだめしちいさな葦分け舟をあやつりながらこゝらあたりを俳徊した遊女も少くなかったであろう。

「わたし」はこの正宗を饂飩屋さんで入手するわけですが、その饂飩屋さんにも行ってきました。それについてはまた次の記事でご紹介します。

 

『蘆刈』執筆の頃に秘書をしていた高木(旧姓:江田)治江さんが書かれた『谷崎家の思い出』に、谷崎の伯母にあたる人(小中村清矩の三女で谷崎の父の長兄の妻だったことが、細江光著『谷崎潤一郎―深層のレトリック 』を読んで、後に判りました)からもらい受けた紫の衣を、谷崎が月夜に捧げ持つ姿が描かれており、さらに小中村家の出自が石清水八幡宮の神職であることから考えても、『蘆刈』については岩淵と川口の間の渡しと、大山崎と橋本の間の渡しをだぶらせていると思われます。ただ、荒川の他にも、思い当たる中洲が二つ三つ私の中に浮かんでいます。谷崎の中では中洲が原風景としても作品のテーマとしても大きな位置を占めていることがうかがわれます。

*かやうのいたづらごとを続けおき侍るこそ。のちの形見まではおぼえ侍らぬ。(後深草院二条『とはずがたり』)
もし死後に於いて何人かの眼に触れたとしたら、それも悪くはないであろうし、誰にも読まれずに葬り去られたとしても、遺憾はない 。(谷崎潤一郎著『夢の浮橋』)

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中公新書には、谷崎作品の読解に役立つ本が多くあります。



作ってしまいました(^^)