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その280(2005.11.4)『夢の浮橋』年表

谷崎潤一郎著『夢の浮橋』では、途中のいたるところで登場人物の年齢が出てくる。誰が何歳で、誰が何歳違いの何歳など、いちいち確認する。口述筆記ということもあるかもしれないが、これは何かを暗示するためであると考えるのが自然だ。
ということで、『夢の浮橋』年表を作ってみた。主に主人公の数え年で物語は進んでいくので、それを西暦に直して、ところどころ他の登場人物の年齢を補ってみた。
これを見て、あなたは何を感じるだろうか(画像をクリックすると拡大します)。
まず一つは容易に想像できると思うが、この作品、どうもそれだけではないようなのだ。読み返すたびに新たな疑惑が湧き出てくる一筋縄ではいかない作品なのだ。
そうそう。登場人物の名前や主人公が読む本も要チェックだ。
この作品は、『源氏物語』と『とはずがたり』に触発され、谷崎の「母恋い」の原体験と、年の離れた妻に対する心理、それから超エゴイスティックな美学を織り込んで再構成した『とはずがたり』のパロディともいえるかもしれない。

年表


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その279(2005.10.28)『夢の浮橋』 

谷崎潤一郎著『夢の浮橋』の全文が、ネット上で公開されている。
この作品を初めて読んだのは随分と昔だ。今年は谷崎潤一郎没後40周年ということで、新聞や雑誌に特集が組まれているが、先日、『東京大人のウォーカー創刊一周年特大号』で特集されているのを読んで、この作品を再度読みたくなった。
が、とても短い作品なので文庫本のどこかに入っていたと思ったのだが出てこない。そこでネットで検索してみたら、上記の日本ペンクラブ電子文藝館に行き当たった。
この作品は、下鴨神社のそばにある「後の潺湲亭(現・石村亭)」がモデルになっている。その描写は、この短い小説の中で大きな部分を占めるのだ。なので、初めてこの小説を読んで以来、「後の潺湲亭(現・石村亭)」は私にとってずっとあこがれの場所だ。
さて、内容だが、この小説の冒頭に、いきなり短歌が出てくる。

五十四帖を読み終り侍りて
ほとゝぎす五位の庵に来啼く今日
渡りをへたる夢のうきはし

この短歌がどちらの母親が詠んだものかはわからない。というところからこの物語が始まる。
この小説は、谷崎潤一郎が源氏物語の現代語訳に取り掛かっていた頃書かれたものであり、この小説の根底には、桐壺院の心理についての考察がある。これを谷崎の頭の中で実行すると、こういうことになるということか。読んでいくうちに、この短歌の作者がどちらかということ自体はなんとなくわかると思う。が、この物語はそれだけでは終わらない。
谷崎潤一郎の作品で、推理小説風のものは他にも多くあるのだが、その特徴に「種明かしをしない」というのがある。読者にいろいろヒントを与えてはいるのだが、確実なことは書かない。だから、多くの読者は単純に誤解したり、何度も読み返すうちに、別の答えが出てきたりする。そこが面白いところだ。例外に『鍵』という作品があるのだが、この作品を読んだとき、最後の日記公開は私には蛇足に思えた。でも、最後にあえて妻の日記を出すところにまた何か別の意味があったのだろうか。今回『夢の浮橋』を再び読んでみて、不満の残ったあの『鍵』も、もう一度読み直したくなった。

『夢の浮橋』に話は戻るが、この作品を読み解くときに、パターンとして参考にできるものに『春琴抄』(こちらに私の読んだ感想有り)がある。短い作品だし、百恵友和が演じたし、読んだことのある人も多いと思う。

それにしても、ある一部を意図的に隠し、ぼかす手法は、この作品が書かれる少し前に発見された『とはずがたり』を思わせる。読んでいくうちに疑問が出てくるところも共通している。実際、この日記を書くにあたっての主人公の言葉と、『とはずがたり』の最後で二条が言っていることは酷似している。谷崎潤一郎が『とはずがたり』を意識したことは十分考えられるが、だとしたら、『とはずがたり』も鎌倉時代に実現された『夢の浮橋』なのかもしれない。


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その278(2005.10.25)『贅沢なおやつ』 

贅沢なおやつ雑誌『anan』で人気のコーナーが本になった。題して『贅沢なおやつ』
扉を開くと、ユーミンの“にんまり”という文章が。おやつに対するユーミンのスタンスが、思わずほほえんでしまう調子で書かれている。中身は紹介者ごとにまとまっていて、トップバッターはもちろんユーミンだ。持ち歩きにも便利なサイズで、これからどこにいくにも持ち歩く予感がする。
とりあえず、チョコレートケーキのトップスと、パルミエのPAULは、SUICAのCMでおなじみの大宮エキナカにもあるので、もしかしたら今日あたり、ふらっと買いにいくかも。


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その277(2005.10.24)『花の影』 

平岩弓枝著『花の影』を読んだ。
この本を購入したのは、私が平岩弓枝作品を集中的に読んでいた頃だと思うので、もう3年位前だろうか。たぶん他の本と一緒に購入したのだと思うのだが、なぜか記憶にない。何か読むものはないかと探していたところ、見つかった。
この小説は、春の女神の名前を持つ女性の10代から80代の姿を桜の1日に見立てて書かれている。著者自身も本の中で「時代背景も考えず」と書いているが、すべて初出(1980~81年)の頃を背景に描かれている。
1982年に同名でドラマ化された。8名の女優さんをリレーで使った豪華なものだったようだが、残念ながら私には記憶にない。が、こちらで著者本人がこの作品やドラマのことを語っている。

主人公は、18歳から24歳の間にいきなりつらい目に遭うが、その後は親代わりの夫婦の庇護の下結婚し、時に波乱を含みながら生きていく。この桜の生まれ変わりのような女性の周りでは、ある人はたまに現れては激しく愛で、ある人は彼女を苦しめるものから守るために殉じ、ある人はひたすらそばで見守る。本人はいずれはひとりになるときが来ると覚悟しつつも、かならず誰かが庇護してくれている。誰も彼女を放っておきはしない。

そんな中で、このひたすら見守るというまさに『14番目の月』のような関係が、少しさびしいながらもなんとも心地よく読者の目に映る。

この作品では、交際の申し込みはほとんどの場合第三者を介するのも印象的だ。今ではあまり一般的ではない方式だが、それでも私にも1度だけそういうことがあった。ホテルの宴会部門でお皿を洗っていた頃だ。
洗い場の責任者は年の近い人だったが、そういうところには親の世代のベテランが多くいらっしゃる。今思えば、私はその人たちの中で、随分と守られていたように思う。そんな中、父親のようによくしてくださる方から別の部門の方からのお誘いを伝えられた。一応独身だけど、勉強のつもりでというお話でご一緒させていただいたのだが、系列のレストランでの食事の後に50'sバーに連れて行かれ、そこでその方の青春時代は'50年代だと知らされた。結局相手の方も親の世代だったのね(^^;

そのような中でぬくぬくとしているのはとても居心地が良かったのだが、そうもしていられず、意を決して新たな道へと踏み出したあの頃のことを、この本を読んで思い出した。


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その276(2005.10.11)『子乞い』 

子乞いその275で読みたいと書いた、ドラマ「瑠璃の島」の原作『子乞い』を読んだ。
その275では、ゆいまーるの話を書いたが、物事は光の当て方によって色々な色に見える。食べ物から、時には私有財産まで惜しみなく分けたり貸したりするのは、お互いに現金がないことを知っているための助け合いであって、現金収入が不要というわけでは決してない。
この本は、1980年代に起きたことを書いたノンフィクションだが、シマ起こしのためのかぼちゃの生産の成果が上がり始めると、土地を提供した不在地主や老人から儲かっているなら土地代を払えという話が出てくる。これは本来当然のことだが、一生懸命開墾してようやく実を結んできたときにそれを言われると、先が見えなくなる。
子供を借りてきてまでという方法は島分けを思わせる。この対症療法に対して、若者は冷ややかな目で見ているが、人の発想は、どうしても経験してきた範囲から飛び出すことはできない。実際そこまでせっぱつまっていたわけだし。
里子を預かるという方法で一時的に廃村の危機へのスピードを緩めることはできたが、里子を預かれる人自体が減っていくわけで、それでは結局廃村の危機を脱したことにはならない。作者は島の将来に対してある提言をしてこの本を終えている。
鳩間島の現在について調べていたら、鳩間島通信というサイトを見つけた。本の登場人物やその子孫ががんばっている。

この本を読んでいて、沖縄では、自分の島より小さい島については眼中になく、みんな親島や中央を見ているという文章に出会った。実際その現象はかなり極端に映る。けれど、自分の住んでいるさいたま市を考えてみれば、埼玉都民と言われるくらいで、就職するなら地元か都内という選択肢がまず頭に浮かぶ。特に沖縄だけの現象ではない。
本では、中央と地方の問題も提起されていた。郵政民営化が推進される今、それ自体は別に賛成でも反対でもないが、郵政公社自体には最初はクリームスキミングを禁じる文言がついたとしても、いずれはその方向に行くのは仕方のないことだ。合理化するということは、採算の合わないところは排除されていくことだ。
この問題の解決には、中央の施策も重要だが、土木工事だけでない、「食える島」への中央地元双方の努力もまた重要とこの本には書かれている。
実際、歴史的に重要な役割を果たしてきた島が「中央から忘れられている」と憤っていたりするので、これは鳩間島だけの問題ではない。
私は沖縄へはまだ一度も行ったことがない。『サウスバウンド』『子乞い』と立て続けに沖縄に関係する本を読んで俄然沖縄に興味を持ち始めただけだ。いつか沖縄に行くことがあれば、自分の眼でいろいろ見て感じてみたい。


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