ラブレターズ

その210(2004.10.24)マティス展

10月22日、マティス展に行ってきた。
まず、入場してすぐ、地下の講堂に行き、無料のスライドトークショーを見て、今回の展示の見所を予習してから、実際の作品を見て回った。
今回の展示方式は、よくある年代順ではなく、習作やバリエーションを一緒に集めるというマティスの特徴を生かした方式だ。マティスのこの特徴は、苗場の最終日のチャットでユーミンも言っていた。

作品を見ていくと、同じ絵が何度も出てくる。マティスは1つの絵の中に、それまでに描いた自分の別の絵をよく入れる。だから、有名な「ダンス」の絵は、いくつも見ることができる。また、マティスは、モデルを描いている自分自身もモデルと一緒に書いたりする。マサノリに言わせると、「自分大好き人間なんだよ」ということになる。
マサノリはこの画家がとっても好きなようで、この画家の話をするときの彼の表情は、まるで憎めない友人のことを話しているようだ。たとえば、
マティスはヌードが得意で、描きたくてしょうがないんだけど、ただヌードを描きたいというわけにはいかないから、言い訳をしながら描く
つまり、ヌードが必然になるようなテーマを選ぶわけだ。
さらに、「こういうこまこましたのを描くのが好きなんだよなー
マティスはテクスチャーのようなのが好きで、背景にいろいろな模様を描く。また、デッサンなどでは、実にこまかなレースの模様を、よくぞここまでと思うほど丹念に書いていたりする。

マティスは、簡単に描いていると思われるのが特に嫌だったようで、1つの作品を書くまでの間に、一応仕上がったと思うところで弟子に写真に撮らせている。たとえば有名な「ルーマニアのブラウス」などは、描いているうちに余分なものがそぎ落とされて、とても単純な形に落ち着いているが、これなど途中経過が残っていなければわからないことだ。
多くの画家は、結果だけで勝負するのだろうが、マティスの場合、モデルの感情を感じながら描く。描いているうちに、それまで描いていた路線とは違う絵にしたくなることもある。そういう場合、それまで書いたものを塗りつぶしたり、逆に絵の具をはがしたり、ときにはわざと下にある絵の具を残したりするのだが、途中経過を残しておくことによって、それらのことが大胆にできたのかもしれない。

1つ、ビデオが残っている作品があった。ビデオでは、女性の顔を描いていたが、このバリエーションがいくつかある。そして、順番に見ていたら、最後にその女性の顔は怒りの表情に変わっていた。あーだこーだとなかなか仕上がらない状況に、イライラしてしまったのか、何があったのかわからないが、なんだか笑えた。
マティスは、心のままにモデルをいろいろな形に描いて行くうちに、時間を忘れて没入することも多かったらしい。そのようなときに、モデルに時間など尋ねられた日には、感情を害してしまってデッサンがめちゃくちゃになってしまうこともあったそうだ。

とにかく、絵を見ていくと、マティスが本当に生真面目だったのがよくわかる。生真面目でなければ同じ絵を何度も描くなどということはできない。また、どうしてもうまくかけないときには、モデルに謝ったりしたこともあるそうだ。でも、後になってそれがお気に入りの作品になっているものもあったりする。自分の作品を繰り返し繰り返し反芻しながら新しい作品を描いていくというタイプのようだ。
このようなタイプだから、マサノリには親近感が持てるのかもしれない。
私も今回の展覧会でとっても親近感が持てた。
いつか壁紙もバリエーションを並べたりするかもしれない。

今日は待ちに待った「新・日曜美術館」放送日だ。
きのうの地震の影響で、ちゃんと放送されるかどうか心配だが、ユーミンがマティスについてどういうお話をするのか、とっても楽しみだ。


その209(2004.10.12)『キャンティ物語』 

10月10日に、東京キャンティ物語というドラマが放送されたが、その原作である野地秩嘉著「キャンティ物語」を読んだ。
物語は一人のレーサーの死から始まり、その葬儀の情景から、キャンティというレストランに集まる人たちの話になる。
このレストランは、川添家の応接間と言っていいくらい、浩史とその息子たちの知人が連日集まっていた。
浩史は日本の文化を海外へ紹介すること、海外の文化を日本へ紹介することを自分の本職と思っていたと、この物語には書かれている。そして、その事業は川添家の家業として長男に受け継がれ、レストランは次男に受け継がれる。

浩史は戦前戦中からフランスに遊学し、そこで多くの友人を得た。そして、日本の文化を海外に紹介し、海外の文化を日本に紹介するという事業を始めた。一例としてはアヅマカブキの公演を世界各地で行い、日本の映画をカンヌで紹介した。
外国人との交渉では、高松宮との関係が有利に働いたこともあった。このあたりは読んでいて興奮する。

梶子夫人との出会いは、このアヅマカブキの公演にナレーターとして梶子が参加したことからだ。
当時浩史には原智恵子というピアニストの妻がいたわけで、離婚が成立し、梶子と結婚するまでのことについては、原智恵子側のことはまったく触れられていない。この部分については、原智恵子の伝記を読むとつながると、タイムカプセルさんに教えていただいた。

長男が初めて手がけたのは、海外で爆発的に注目されている「ヘアー」というミュージカルの日本での興行権を得て、日本版ヘアーをプロデュースすることだった。この事業をバックアップすることが浩史の最後の仕事になった。そして、長男次男の友人として集まってきた人たちを中心に、芸能界が新しい世代に変化して行くのだが、そういう方面も浩史氏が積極的にバックアップした。

ドラマでは、短い時間に欲張りすぎなくらいいろいろ詰め込み、もう少し掘り下げてもいいところまでサラッと流しすぎて、いったい何が言いたいのかわからないような出来になってしまった。
原作にはユーミンはほとんど出てこないが、そこをあえてユーミンに的を絞るならそれなりの作り方があったと思うのだが…。無理にドラマに仕立てた意味もわからない。
船頭多くて船が陸に上がってしまったのだろうか。
ただ、原作で説明不足な部分をインタビューが補っていたところもあったので、そういうところを考えながら読むのも面白いと思う。


その208(2004.09.25)『白いくつ下は似合わない』 

失くしたものなど何もないけれど 白いくつ下 もう似合わないでしょう

この曲を久しぶりに聴いた。『シンガー・ソングライターからの贈り物 荒井由実作品集』を購入したためだ。
実はこの曲、リアルタイムで聴いたことが1度だけある。アグネスチャンがカナダへ留学するために一時引退する直前、少女から大人へ変わる時期に、それまでの「おっかのうえ~♪」というような幼い感じからだいぶイメージを変えたこの曲を歌った。そのときこの曲を聴いて一度で気に入ってしまった。が、その後はほとんど耳にせず、上のフレーズだけがいつまでも心に残っていた。

恋を失って、でも、だからといって何も失ってなんかいないけれど、でも、恋を知る前のあの頃の自分には戻れない。それを表すものとしては色々なものがあったとは思うのだが、アグネスチャンだからこそ、白いくつ下というキーワードが光ったような気がする。

それにしてもこのフレーズで曲が終わった後のヒリヒリ感。
私の大好きな一曲だ。


その207(2004.09.09)パソコン起動せず 

もう先月の話だが、ついにやってしまった。Cドライブが立ち上がらなくなってしまったのだ。
夜中、翌日の宅急便で出す仕事を始めようと、パソコンを立ち上げたところ、起動中に固まったように見えた。こういうことはたまにあったので、Alt+Ctr+Delを試みたあと、「またか」という感じでパワーボタンを押して強制終了した。が、強制終了が効いて終了する寸前にハードディスクにランプが…。
いやな予感がした。
恐る恐る再びスイッチを入れたところ、ハードウェアが見つからないというメッセージが出て、立ち上がらない。そのまま再び起動動作が始まり、やはり同じメッセージが出るという無限ループ。
「あー、やっちゃったー」
だ。
フリーズしていたわけではなく、単に起動に手間取っていただけだったらしい。

仕方がないので、この後機器診断用のフロッピーでハードディスク等のチェックをしたところ、問題はなかった。つまりWindowsのファイルの何かが壊れたということだ。
とりあえずメーカーのサポートに電話して症状を話したところ、やはりOSの問題。サポートにはもう関係のない話だ。
OSの再インストールの方法を送るということなので、とりあえず送ってもらうことにしたが、考えてみたら、そんなことしたら後の処理が大変だ。そういうときのためにCドライブ丸ごとバックアップをしてあるのではないか。
トラブルが起きると、本人は冷静のつもりでもどこか飛んでいる。

で、バックアップを復元するのだが、「はて」と手が止まる。
「いいのか? やっちゃって…」
最後のバックアップの日付を見たら、1ヵ月前だ。このファイルで復元したら、その間のメールなどのデータが永遠に戻らない。
で、複合ソフトの中のバックアップソフトの緊急起動用フロッピィで立ち上げた画面を見ながらしばらくグズグズ。英語表記なのでこういうとき困る。
眺めているうちに見つけた。復元のほかにバックアップの項目があるではないか。
英語なのでいまいち不安だったが、しばらく逡巡したあと、やってみた。
はじめはDVDにバックアップしようとしたが、これがまた時間がかかる上に、1枚でおさまらない。ブランクディスクでない場合、1枚目はフォーマットしてくれるのだが、2枚目以降はだめだ。仕方がないのでコンビニまでブランクディスクを買いに行ったが、映像用しかなく、試しに買ってみたが、やはりだめだった。

で、ふと気がついた。Dドライブにバックアップすればいいんじゃないか。
そうなのだ。普段はCドライブのバックアップはDドライブにしているのだ。そのためにDドライブは大きめの容量にしている。ハードディスクにファイルとしてバックアップすると、DVDに比べて驚くほど早く処理できる。
ということで、ようやくDドライブにバックアップ。いつものフォルダにバックアップしようとすると、ファイル名が違うのに一部のファイルが上書きされるため警告がでる。仕方がないので、別のフォルダにバックアップするなど、あれこれ戸惑いながらも何とかバックアップを完了した。
その後、1ヵ月前のファイルで復元し、不足分を新しいバックアップから手動で復元、追加した。
やっと一息ついたが、それではまだ終わらない。1ヵ月分のWindowsアップデートとウィルス対策ソフトのパッチを当てて、ようやく作業完了。
胃の痛くなるような夜が終わった。

あれから1ヵ月。完全に復元できたと思ってたら、リンクバナーファイルを1個、戻し忘れていた。
リンクのページを手元で開いたら、×マークがついている。早速バックアップファイルから取り出し、あるべき場所に入れた。


その206(2004.08.27)『秘密』 

東野圭吾著、『秘密』を読んだ。数年前、広末涼子、小林薫主演で映画化された作品だ。
交通事故によって亡くなった母親の魂が、一緒に事故に遭った娘の体に宿ったことから始まるこの物語は、伏線を随所に張りながら、夫婦の愛情や心の揺れを細かく描写している。作品は夫の側から書かれているが、女性が読むと奥さんに感情移入しながら読むことになる。
最後に近づくにしたがって、あのときああしていれば、このときこうしていればと思うのだが、結局はこれが一番いい選択なのだろう。最後のシーンでは、思い切り泣いてしまった。
と、その後ですごい秘密に気がついた。映画ではっきり示されている秘密ではなく、さらに遡る秘密。はっきりとは書かれていないのだが、確信がもてる伏線が敷いてある。映画は見ていないのだが、映画でも、この遡る秘密をにおわせるシーンが原作とは少し異なった形であるようだ。
何度か読み返していくうちに、また新たな秘密が見えてくるかもしれない。

ところで、この作品にはユーミンの曲が出てくる。最初に出てくるのは、母親の心を持った娘が受験勉強をするとき。理科の勉強をするときはユーミンが最適なのだそうだ。
えー? そうかなぁ。
ちなみに数学はレッド・ツェッペリン、英語はモーツァルト、社会はカシオペア、国語はクイーンだそうだ。モーツァルトの曲を聴くと、頭が良くなるという話はあるが、あとはどうなのだろうか。う~む。
そしてもう1箇所。とっても重要なシーンで出てくる。その曲が何か、その曲が入っているということはどのアルバムか。これは読んでのお楽しみだ。